オリジナルのヒーローを描いてみました。
その名も「六道浄魔戦記Kagari(かがり)」!
このヒーローを主人公にした小説を書いているところでして、その表紙に使うつもりで描いたものです。ビジュアルが先に登場、できるだけ早いうちにKindle出版したいなぁ、と思っております。
白山信仰をベースにしたヒーロー物で、石川県を中心に北陸地方をメインの舞台としています。そう、このところ白山信仰がらみの投稿をしていたのもこの前フリだったのです!
今年大きな被害を受けた能登の人たちがスーパーヒーローのように不屈の闘志で復興するのを祈るとともに、この物語を通して石川県とより深い縁を築けたら嬉しいな、と思いつつ制作を進めているところです。
というわけでして、金沢のネタでも。↓はちくま文庫から出ているアンソロジー「文豪怪談ライバルズ!」シリーズの3冊。
「刀」「鬼」「桜」というじつに魅力的なテーマが取り上げられたもので、「文豪」と銘打ちつつも古典文学や歴史的文献から現代の人気作家、さらにはコミックまでかなり広い範囲から作品が集められています。
この3つはいずれも敷き詰めて考えれば「こういったものを愛好する日本人とは何者なのか?」まで行き着く深~いテーマだけになかなかにバラエティに富んだ内容にもなっていると思います。
それと「鬼」の巻の表紙で鬼の手に突き立てられている刀、ちょっとレーザーブレードっぽいですよね?(特撮ネタ😆)
そしてこのシリーズのひとつにおけるもうひとつのテーマとなっているのが泉鏡花の存在。3冊すべてに泉鏡花の作品が収録されており、編者によると泉鏡花の知られざる名作を紹介することもこのシリーズの大きな目的となっていたのだそう。
収録作は以下の3篇↓
「妖剣紀聞」 ~「刀」収録
「鬼の角」 ~「鬼」収録
「桜心中」 ~「桜」収録
泉鏡花は金沢を代表する文豪(彼と室生犀星、徳田秋声で「金沢の三文豪」)ということもあって市内にゆかりの地が多数、あちこちの観光スポットの説明板にも彼の名前と作品が出てきます。
まあ彼の特徴とされる「擬古文」風の文章は現代人にはとっつきにくすぎて素直に楽しめない面もあるのですが。↓のような感じ。ひと目見ただけで怯んじゃう人も多いんじゃないかと(苦笑)
でもね、これでもまだ読みやすい方なんですよ!😂
ともあれ、これらの作品ゆかりのスポットとその地に関する歴史をご紹介していきたいと思います。とくに「妖剣紀聞」の主人公「非人清光」こと高松清三郎は刀鍛冶として実在した人物でなかなかに面白い存在と言えます。(ただし作品の舞台は江戸(東京))
この作品では身分差別が重要なテーマとなっており、ヒロイン役となるお町は被差別民とされていた「鳥追い」の出身、そんな彼女と美少年だった若き日の高松清三郎との間に悲劇のロマンス。
お町からかきつばたの花を贈られたのをきっかけに二人は心を通わせますが、花を受け取った直後にお町が被差別民であることを知らされた清三郎が半ば無意識にその花を棄ててしまいます。その棄てられた花を見たお町は傷つき、清三郎を恨んだすえに最後には自ら命を絶ってしまうのですが、そのいまわの際に立ち会った清三郎が自らの行為を恥じ、謝罪して和解、「せめてお妾にしてください」というお町に対して「いや、夫婦だ、妻だ、女房だ」と宣言し、彼女の最期を看取ったのでした。
そんな悲恋の物語に謎めいた妖刀が絡んでくる…という筋書き。いかにも泉鏡花らしい作品と言えば言えるのでしょうか。
あまり有名な作品ではないらしく、彼の作品の多くを読める青空文庫のラインナップにもまだ含まれていません。知られざる名品…かな?
面白いのは一度は被差別民のお町を拒絶してしまった高松清三郎自身が史実では先述のようにのちに「非人清光」と呼ばれていたことです。彼は代々「清光」を名乗る刀鍛冶の一族に生まれ、後にその六代目になる。しかし根っからの職人気質だったのか「名利に疎く」と称され、困窮したあげくに当時加賀藩によって運用されていた福祉施設「御小屋(御救小屋)」で生活を送ることになりました。
彼は1687年に亡くなっているのですが、この時代は天下泰平の世で刀剣の需要が減った時期でもあるので彼の困窮にはその影響もあるのでしょうか。戦がなくなったこともあって刀剣の生産地が需要が多い経済の中心地である江戸と大阪に集約されるようになっていった当時の事情もあったのかもしれません。
この「御小屋」とは生活に困窮した人たちを収容するために作られたもので、「小屋」といいつも複数の建物を擁しており、収容人数も最盛期で1500人を超えていた(!)らしく非常に大規模な施設だったようです。
しかもこの施設で暮らす人たちはさまざまな仕事を割り当てられたうえで衣食住を保証された生活を送ることができたのだそうです。
現在の視点から見てもかなり驚かされるこの福祉施設は加賀藩4代目の藩主(利家は含めず)、前田綱紀(つなのり。1643-1724)によって設立されたもので、加賀藩の領民の生活はもちろんのこと、藩内の秩序の安定にも大きく寄与したそうです。当時「加賀に乞食なし(当時の表現です。念のため)」と称されたのだとか。
この綱紀、その名前からして推測できるように徳川綱吉から偏諱を受けています(受けた当時の名前は「綱利」)。綱吉と言えば「生類憐れみの令」で有名(悪名高い?)で有名ですが、こちら綱紀は「人類哀れみの令」を実践した、とも言えましょうか(綱吉の生類憐みの令に関しても再評価も必要かもしれませんが)
そんな綱紀さん、どうも綱吉ととてもウマが合ったらしく、御三家と並び称される待遇を得ることにも成功。ついでに綱吉の能楽狂いを押し付けられたうえに最初はいやいや付き合っていたのがやがてどっぷりはまってしまい、それが現在まで続く「能楽が盛んな地、金沢」のイメージを作り上げることになる。
金沢の能楽は能楽の五流派のひとつ、宝生流が「加賀宝生」と呼ばれつつ普及の牽引役を担ったのですが、ここにも綱吉と綱紀の関係が関わっていたりもします。
↓は金沢の能楽堂の公式サイトにある加賀宝生流についての説明です。ここにも綱紀と綱吉の関係が簡単にですが書かれていますね。
1686年に綱紀が江戸城に登城した際に綱吉自らが演じた能楽を鑑賞したのですが、その場で綱吉から「お前もやって俺に見せてくれや」と言われてしまいます。
慌てた彼はなんとかカッコがつく程度に能楽を身に着けようと稽古に励むのですが、その際に師匠として招聘したのが宝生流の能楽師だった…というのが加賀宝生が誕生したきっかけだったのだとか。
このようになかなかにおもしろい人物です。父親の前田光高が数えで29歳で死去、ゆえに幼くして藩主となった綱紀は祖父の利常の後見のもとで教育を受けることに。さらに後には保科正之の娘と結婚。利常にせよ保科正之にせよ、名君として名高い人物ですから、恵まれた環境でよい教育を受けることができたのかもしれません。
六代目清光こと刀鍛冶高松清三郎はそんな綱紀の善政のもとでなんとか生活の手段を確保することができたことになります。そして御小屋でも作刀作業を行っていたらしい。しかも七代目、八代目までこの福祉施設で作刀作業を行っていたそうで(八代目の段階で引っ越すことができたそうな)、代々「名利に疎い」一族だったのかも知れません。
あるいは、現代でもそうですが、一度こうした困窮状態に陥ってしまうと抜け出すのは簡単ではない、という厳しい現実を示しているのかも知れませんね。
問題なのは彼の通り名である「非人清光」。先述のように六代目清光の没年は綱紀の時代の1687年とされていますが、この時代における加賀藩の「非人」とはあくまで「いろいろな事情で貧困状態に陥って生活ができなくなってしまった人」、つまり御小屋に収容されたような人たちに対して使われていました。なので現在の我々が「非人」の言葉に連想されるような差別的なイメージはなかったことになります。
一方、泉鏡花のこの作品では六代目清光を主人公にしつつも時代をずっと遅らせて寛政5年(1793)に設定しています。そこでは六代目清光は孤児とされており、見目麗しい美少年であることから後見人から「刀鍛冶ではなく能楽の家に弟子入させようかと思っている」なんて言わせています。
先述したように加賀藩で能楽が盛んになったのは前田綱紀の時代以降、それこそ綱紀が能楽の稽古をはじめたのが六代目清光の死の前年。なのでこの作品が実際に六代目清光が生きた時代だったらこんな設定は出てこないでしょう。
このあたり作者の意図的な舞台設定の操作の痕跡がうかがえますね。清光の美少年ぶりを表すのに能楽が必要だったのでしょうか。
一方、本作のプロットの柱となっているヒロインを「ケガレた身」として拒絶するという姿勢は現代の価値観ではとても受け入れられるものではありませんが、泉鏡花が身分差別に対してどういった立場をとっていたのでしょうか?
身分差別をテーマにした悲恋の物語において後に「非人」と称されるにいたった人物を主人公に据えることで「差別する者も立場が変われば差別される側になることもある」という皮肉を利かせている面も感じられます。
となれば泉鏡花は身分差別の厳しさを露骨に示したこの作品を身分差別に対して否定的な視点で描いたことになるのですが…
さてどうでしょうか?
しかし六代目清光の時代の「非人」には被差別民としての意味はないのでなりたたない。そこで時代を100年以上後にずらした…作品の舞台となった18世紀の後半には御小屋で生活する生活困窮者に対する差別的な感情が生まれつつあったとも考えられており、「非人」の意味も六代目清光が生きていたころとはかなり変化していた可能性が考えられます。
泉鏡花はこのあたりも考えた上で本作を書いたのかも知れません。
で、↓がかつて御小屋があったエリアに建てられている六代目清光を称える碑。
ちょっとかわいい刃のモニュメント
金沢を歩き回っているとあちこちで碑が建っているのを見かけて「いや~、金沢の人って碑が好きだねぇ」としみじみ思うのですが、これ清光の碑もごく普通の住宅街にポツン、と建っているような形。観光客などわたくし以外誰もおらず「誰に向けての碑なんでしょ?」的な感じも😄
残念ながら御小屋の名残を伝えるものは現地にはほとんど残っておらず、かつて御小屋の建物が建ち並んでいたとされる場所には子供向けの児童公園があります。これが見事なまでに何の変哲のない公園で歴史のロマンも何も無い。
かろうじてこの六代目清光の碑の近くにかつて御小屋で亡くなった人たちを供養するために祀られたお地蔵さまがあるらしいのですが…残念ながら不肖ワタクシ、場所を見つけ出せずたどり着けませんでした😭
代わりに、というわけではありませんが、この御小屋があった地域(笠舞地区)にある猿丸神社をご紹介。ここもなかなかおもしろい歴史を持ったところだと思います。
“奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
声きく時ぞ 秋は悲しき”
の作者、猿丸太夫(生没年不詳)を祀った神社です。具体的な歴史はよくわからないのですが、「金沢最古の神社のひとつ」とされています。↓の説明板でも「最古の神社」と書きつつも紹介されている史跡は江戸末期のもの。
↓は猿丸神社の位置。Googleマップの埋め込みができなかったので画像で。この神社の東側に御小屋の施設が建ち並んでいたことになります。
ではなぜこの地に猿丸太夫を祀った神社があるのか? この地が猿丸太夫ゆかりの地である、との伝承があるから、と説明板にはありますが…
猿丸太夫そのものが謎めいた人物であるだけでなく、兵庫県の芦屋市(源頼政に退治された化け物「鵺」の死骸が流れ着いた場所)にその子孫を名乗る人たちが住んでいるとか、忍者でもおなじみ長野県の戸隠に猿丸太夫が住んでいたとの伝説があるなど、いろいろなところでこの人の名前が出てくる伝承が伝えられています。
この化け物の死骸が流れ着いた芦屋市にせよ、戸隠/飯縄修験(+忍者!)の歴史を持つ戸隠にせよ、「この世と別世界との境界」的な位置づけを持っています。
ですからこの金沢の笠舞地区の猿丸神社も似たような意味合いを持っていたのではないか? とも思えてきます。困窮と生活苦から「普通の社会」からはじき出されてしまった人たちが住むこの地域はまさに「普通の生活」を送ることができている人たちにとっては「この世と別世界の境界」に他ならなかったのかもしれません。
↓は境内にある上記とは別の説明板です。ちょっと読みづらいですが。
ここに書かれているようにかつて(今も?)この神社は木に釘を打ち込んで呪詛する「丑の刻まいり」のスポットだったらしい。この辺も「別世界との境界」のイメージゆえに生まれた伝統ではないでしょうか。
↓のような木に釘を打ち付けるのでしょうか?
しかも、この猿丸神社は現在でも本殿に十一面観音を安置しています。神仏習合の時代ではこちらが主な信仰の対象であったのかもしれません。そして十一面観音と言えば白山信仰の本地仏にあたる仏さま(白山信仰が登場!)。
白山信仰は「白色=清める/浄める」の色彩感覚もあってか身分の低い人たち、もっと言えば被差別民たちの間で信仰を集めていたと言われています。白山が「日本三大霊山」に数えられながらも現在ではかつての信仰の様子がよくわからなくなってしまっているのも身分が低かった人たちの間で信仰されていたので記録があまり残っていないのが大きな原因のひとつとも言われています。まさに時代の流れとともに差別されるようになっていった人たちを保護する仏さまにピッタリ。
さらにもうひとつ、能楽の元になった猿楽を担っていた芸能民はかつて被差別民と見なされていました。この地ではそんな猿楽のイメージと猿丸太夫が「猿つながり」で結びついたのではないでしょうか?
能楽を振興した藩主によって作られた困窮者向けの福祉施設に住んでいる人たちが時代の経過とともに差別の対象とされていくのに合わせてこの地にあった「猿」の文字がつく猿丸神社が被差別民のための神社と化していった…そんな経緯があったのでは?という推測もしたくなります。
金沢最古の神社の一つとあるのでこの地域に生活困窮者が集められるようになる前から鎮座していたのでしょう。ただ現在のような信仰の形となったのは江戸時代半ば以降、この地域が「普通の人たち」から見た「この世と別世界の境界」と化し、さらに御小屋で暮らす人たちが被差別の立場になるようになってからではないでしょうか?
さらに推測をたくましくすれば、猿丸太夫を祭神とするようになったのも、この人ゆかりの地としての伝承が生まれたのも、この時期から、という可能性もあるかもしれません。「能楽=猿楽」が先で、その連想から猿丸太夫が名前が出てくるようになった、とか。
とくに十一面観音が祀られるようになったのはこの時期からの可能性がかなり高いのでは? もともとこの神社は現在とはまったく違う祭神が祀られた、まったく違う信仰を持ったところだったのかもしれません。
あるいは、逆に考えるとこの地に生活困窮者を収容・救済するための施設が作られることになったそもそもの理由が猿丸神社とこの人物を巡る伝説が存在する地だったからなのかもしれません。もともと別世界との境界としてのイメージをもたれていたがゆえにふさわしい地として選ばれた、とか。
真相やいかに!
「北陸の京都」とも呼ばれて華やかな印象もある金沢の中心地にぽっかりと口を開けたダークゾーン…というのは表現が良くないでしょうか。
話は変わって↓の画像はアンソロジーの「桜」に収録されている泉鏡花作の「桜心中」に登場する松月寺とその境内にある「大桜」。金沢を代表する名桜として昔から名高いらしく、本作でも「江月寺の桜」の名前で登場、この桜の「桜の精」と名乗る美しい女性が登場する…という設定になっています。
道路にはみ出しています↑
樹齢約400年、2代藩主前田利常(繰り返しになりますが1599年に死んだ前田利家は含めていません)が時の住職、至岸和尚に贈呈したと伝わっています。
この写真は桜の季節ではないのでちょっと元気がないような印象も受けますが、それもいかにも「年経りた老木」なたたずまいで良いのでは?とも感じます。
ちなみに話の舞台になるのは金沢を代表する観光名所、兼六園。ここも前田綱紀が作った庭園をルーツとしているのですが、後の藩主たちが続々と増設、どんどん華美なものに仕立て上げていったものです。19世紀前半には加賀藩の財政はかなり厳しい状況になっていたようですが、そんなこともおかまいなしにゴージャスな世界を作り上げていったらしい。その結果領民の生活は困窮し、一揆なども勃発するように…😅
↓一応兼六園の画像も
現在の兼六園の様子を綱紀が見たらどう感じるのか?という気もしないでもない(苦笑)
もうひとつのアンソロジー「鬼」に収録されている「鬼の角」は舞台となった場所がはっきりと書かれていないのですが、作中に登場人物がお汁粉屋に立ち寄るシーンが出てくるほか「あちこちから鐘の音(声)が聞こえる」みたいな表現も出てくる(「数杵の鐘声院に籠もりて」)とあることから現在のにし茶屋街~寺町寺院群あたりではないかと推測します。
このエリアでは現在でも多くの寺院が建ち並んでいるのですが、観光客向けの休憩スポット「寺町鐘声園」なんてところもあります↓
こじんまりとした無料休憩所ですが、なかなか風情があってよろしい感じ。
現在金沢でも外国人観光客が多く見られ(西洋人の比率がとても高い印象)賑わっていますが、オーバーツーリズムというほどのレベルではまだありません。また金沢はこの寺町鐘声園のような気軽に立ち寄れる休憩スポットがあちこちに用意されていてとても快適に観光を楽しめます。東京や京都の中心部みたいに「何をしようにもお金がかかる」みたいにはなっていない。
この良い状態を保ってほしいものだとしみじみ思います。
よく観光スポット案内などで「観光に疲れたらおしゃれなカフェで一休み♪」とかなんとかでスポンサーになっているお店が紹介されていたりしますけどねぇ、そんな休憩のたびにカフェなんて立ち寄ってられるかっての!🤣
イラストを紹介したついでに忍者(そう、忍者ヒーローなのです!)についても書こうと思ったのですが、思いのほか長くなったので次の機会にしたいと思います。最後に↓の画像、金沢屈指の観光スポット、ひがし茶屋街にある「宇多須神社」で撮影したものです。
この画像のどこかで、何かが潜んであなたの様子をうかがっている…↓😆
金沢で忍者といえば「忍者寺」こと妙立寺が人気ですが…あれは忍者と直接関係ないので。
お読みいただきありがとうございました。最後に恒例の(笑)わたしがKindleにて出版している電子書籍の紹介をさせてください。やっぱりできる範囲内で全力でアピールしないと誰の目にもとまることなく埋もれてしまいかねないので。なにとぞご容赦のほどを。
このブログにおける普段の投稿と同路線、「神・仏・妖かしの世界」を舞台にした創作小説(おもに怪奇・幻想・伝奇・ファンタジー系)です。もしご購読いただければ光栄至極にて御座候🙏