神さま/仏さまの像に色を塗りたくる(化粧をする)習慣が各地に見られます。有名なのでは青森・津軽地方の化粧地蔵と九州南部の田の神さぁ(田の神さま)がまず挙げられると思いますが、前者のルーツは京都の化粧地蔵だと言われており、現在でも京都の中心部においても路傍に白く化粧を施したお地蔵さまを祀った祠を見ることができます。
この京都の北部、旧丹後国やお隣福井の若狭国では京都中心部よりもさらにこの習慣が根強く残っているようで、先日わたくしが訪れた時にはあちこちで印象深いステキな像と出会うことができました。そこでこの化粧が施された仏像(以後化粧地蔵で統一)について書いてみることにしました。
↓の画像は八百比丘尼伝説でよく知られた福井県小浜市で見かけて撮影したものです。小浜市ではとくに化粧地蔵にまつわる行事・習慣(地蔵盆)がよく残されているようです。
とくにインパクトがあったのが↓の化粧地蔵群。八百比丘尼の住んでいた地と伝われる八百姫神社のほど近く。
カルフルなだけでなくハッピーな雰囲気を備えているのがこの地域の化粧地蔵の魅力だと思います。(それに比べて青森の化粧地蔵は少し深刻な印象)
一見して「?」な祠。近寄ってみると…
首だけ!
首だけのお地蔵さまの祠は向かって左側にあるものです。
↑こちらは八百比丘尼終焉の地として名高い入定洞がある空印寺の入口すぐ脇にあった小祠。
↑はこの地域の路傍で見つけたステキな化粧地蔵群。「ちょっと失礼します」と挨拶したうえで格子越しに祠の内部を撮影。
↑は東大寺二月堂の「お水取り」の儀式とも浅からぬ縁がある若狭姫神社の向かい側にあったもの。ちょっと控えめ?
当地のお盆シーズンには地蔵盆という風習が行われており、毎年この時期になると子どもたちが化粧が施された仏像を持ち出して海水で洗ってその化粧を落としたうえであらたに彩色を施すのだそうです。
興味のある方は小浜市のホームページをご参照ください
今回投稿した化粧地蔵もみな褪色や色が剥がれ落ちた様子もなくきれいな色をしているので、おそらく毎年塗り直されているのでしょう。
さらにかつては子どもたちが地蔵像を持って念仏を唱えながらあちこちの家を回ってお小遣いをもらって歩く...なんて習慣もあったとのことです。
この子どもたちが家々を回ってお小遣いをもらうスタイルは折口信夫が「さへの神勧進」と読んだ風習、さらに↓のような現在では民俗文化財にも指定されている「塞の神まつり」と共通したコンセプトをうかがわせます。
まさに「日本版ハロウィン」とも言うべき面白い風習ですが、とくに↑の塞の神まつりでは祝儀が少ない家に対して災難を持ち込むとされる木偶人形が投げ込まれるというのですから、まさに「Trick or Treat」の世界。もっと過激で「Threat or Treat」か?🤣
もともと道祖神と地蔵は同じ役割を担うことが多く、しばしば習合していることからも小浜の地蔵盆とこれらの塞の神まつりが根っこの部分では同じコンセプトを持っていると見て問題ないのでしょう。
折口信夫の「さへの神勧進」という名称はまさにこの伝統が勧進行為を兼ねていたことを示しています。つまり子どもたちがその土地の信仰を維持するために必要な資金(祠や仏像の維持・修復など)を確保するために家々を回ってお金などを集めてまわる、そしてそのお駄賃としてお菓子なりお小遣いをもらう、というのがもともとの形なのでしょう。
折口信夫は随筆「石の信仰とさえの神と」において(青空文庫で読めます)この手の勧進行為をなぜ子どもが担当するのかについて生殖器信仰を挙げつつずいぶんと難しい意見を並べています。
しかしそんなに難しく考えなくてもしばしば道祖神と習合するお地蔵さまが子どもの守護神としての面を持っているとか、子どもはまだ半分神さま・仏さまの世界に属している(つまり道祖神のように2つの世界の境界線上にいる)といった基本的な概念でも十分説明できるように思えます。
いずれにせよ、この地蔵盆/さへの神勧進のシステムは現在のハロウィンよりもずっと合理的ですよね?子どもにとって楽しいイベントであるだけでなく共同体を維持するための取り組みにもなっている。
そして先述した「塞の神まつり」の「用意した祝儀が少なくて木偶人形を投げ込まれた家では災難が起こる」というコンセプトには塞の神のもともとの役割がよく現れているように思えます。
もともと塞の神(道祖神)とはある地域の境界に置かれたうえで外の世界からやってくる災いやケガレといったものが内部の世界に入りこむのを防ぐ役割を担っている神さま。それゆえにケガレや災いと接することになるため、道祖神そのものがケガレを負ってしまう面もある。
道祖神は八百万の神さまの中ではあまり地位が高くないとされているのもおそらくそれが理由です。
この「ケガレを追い払う者は自身がケガレを負うことになる」という構図については、先日平安時代におけるケガレの概念をめぐる朝廷と武士の関係をメインに大江山の酒呑童子伝説と絡めつつ書いてみたことがありました。
↓の投稿。ご一読いただければ幸いです。
この「武士が朝廷に災いやケガレが舞い込んでくるのをその破邪/辟邪の武力でもって防ぐ。でもそのために武士はケガレを負うことになる」という図式と、
道祖神の「地域に災いやケガレが入り込んでくるのを防ぐ役割を担っているために身分の低い神とみなされる」という図式との間には共通点が見られます。
つまり、もともと武士には道祖神のような役割が求められていたのか?
そうなると、化粧地蔵の「毎年海水で化粧を落として彩色しなおす」という構図は「像/お地蔵さまに付着したケガレを洗い流して浄化したうえでその本来の霊力が十分に発揮されるに相応しいフレッシュな状態に戻す」という考えがおそらく含まれている。さらに洗い落としたケガレを海の向こうへと押し流すというコンセプトも垣間見ることができるでしょう。
そのため、「塞の神まつり」においてまだケガレを払っていない木偶人形は災いをもたらす危険な面を持ち合わせている状態にある、ということなのでしょう。
日本神話ではイザナキが死んだ妻イザナミを連れ戻すために黄泉の国へと出向いたものの、失敗して逃れた後に「ケガレた国へ行ったので禊(みそぎ)をしよう」と水の中で体を洗う(すすぐ)、というとても有名なシーンがあります。このみそぎのときにアマテラスオオミカミとスサノオノミコト(&ツクヨミノミコト)が生まれることになる。
化粧地蔵の化粧を海水で洗い流すという行為からはこの日本神話のシーン/コンセプトの残響が聞こえてくるようです。
また日本では長い間「島流し」の刑罰が実施されていましたが、これも罪を犯した者(つまりケガレを背負った者)を海の向こうに流すことで正常な状態を回復する、という面も持ち合わせていたと思われます。罪人を流すだけでなく、罪そのものも流す、という構図。
かくして、かつての過剰なくらいケガレを忌避し、清浄な状態を保とうと腐心した京都の朝廷と、現在まで(かろうじて?)受け継がれている一般の人々による伝統・風習とが見事に結びつく。
じつに奥が深い、と感嘆せざるを得ません。そしてこの化粧地蔵はまさしく京都発祥とされるに相応しい、「いかにも京都らしい」内容を備えていると痛感させられます。
この小浜の化粧地蔵にはそんな歴史の醍醐味が宿っているように思えます。
そして、こうした点を踏まえながら化粧地蔵/地蔵盆/塞の神まつりのコンセプトを見ていくと昔の人たちの信仰/風習には非常に優れた合理性が宿っているのがうかがえます。子どもを媒介に共同体を維持するための行事を実施し、災いの種を取り除いて地域全体の無事息災を祈り、さらに子どもたちに楽しい機会を提供する。
舶来モノのハロウィンで大騒ぎをしている場合じゃないぞ!みたいな。
「タイパ」や「コスパ」など合理性を重視する概念が猛威を振るっている一方で本来なら必要なもの、大事なものまで削ぎ落とそうとしている現代人が、昔の人たちよりも合理的などと言えるのでしょうか?
とまあ、疑念もよぎります。(念のために言っておくとわたくしは「昔の日本はよかった」「昭和の頃はよかった」などというタイプの人間では断じてありません。)
以下の画像は若狭国の西隣、丹後の国で撮影したものです。
↑は景勝の地でおなじみ天橋立の入口に位置する「日本三大文殊」のひとつ、智恩寺にあったものです。
↑は同じく智恩寺に境内にあった六地蔵のメイクアップバージョン...というか女性バージョン。これはかなりレアではないでしょうか。
↑は舞鶴市、細川幽斎の築城でも知られる田辺城址のすぐ近くにあったものです。
どれもこれも味があっていいですねぇ。
そうそう、東京にはお地蔵さまの顔におしろいを塗りたくる「おしろい地蔵」なるものがあります。こちらは化粧地蔵のように「洗い流す/落とす」ためのものではなく、美白や美顔のために「塗りたくる」のをメインのコンセプトとしているようです。
最後に、この記事のタイトルですが、これはアメリカのロックバンド、KISS(派手なメイクをしてプレイすることで有名)のアルバム「Unmasked ~仮面の正体」のパロディ(パクリ?😆)です。
「Unmasked」で「暴露する」「正体をあばく」みたいな意味だそう。
すぐに気づいてくださった方、いますか?
もしいらっしゃったらお友達になってください😘。