鳴かぬなら 他をあたろう ほととぎす

妖怪・伝説好き。現実と幻想の間をさまよう魂の遍歴の日々をつづります

浜名湖の水産物は龍神飛翔の夢を見たか? それと貝を神格化した女神さまについて

過去2回の投稿で夭折の日本画家、青木繁1882-1911の作品を取り上げました。せっかくなのでもう1回取り上げて「青木繁3部作」にしようかと目論んでみた次第にて候。

冒頭の画像は彼の代表作の一つ、「大穴牟知命(オオアナムチノミコト)」。これは日本神話の有名な1シーンを描いたもので、美しい八上比売(ヤカミヒメ)の心を射止めたオオアナムチ(オオナムチ、オオクニヌシ)が彼の兄弟である八十神(たくさんいる兄弟の総称。なので複数)の怒りを買って殺害されてしまったときの様子。

八十神が熱した大きな石をオオアナムチのもとへと転がし、その石を全身に受けた彼は焼け死んでしまいました。

その後、彼の母親の嘆願に応える形で神産巣日(カミムスビ)神に派遣された2人(柱)の女神、キサガイヒメ&ウムガイヒメが死んだオオアナムチのもとへに赴き、彼女たちの力によってオオアナムチは蘇生することになります。

日本神話のなかでは非常に珍しい、というかおそらく唯一()の「死からの復活」を描いたシーンとして価値が高いエピソードです。イザナミすら実現できなかったことを成し遂げているわけですから、すごいですね。

このキサガイヒメ&ウムガイヒメは貝を神格化した神と考えられており、前者が赤貝、後者が蛤とされています。ウムガイヒメの漢字表記はそのまま「蛤貝比売」、キサガイヒメ...「「刮」の字の下に「虫」がついた文字+貝比売」というちょっとむずかしい表記になっております。あるいは「討」の字の下に「虫」がついた文字が使われていることも。

オオアナムチ/オオナムチは「大名持」と評価されることもあり、もともと別々であった複数の神格が統合される形で生まれた神ではないか、との意見もあります。現代人のわたしたちの視点からするとオオナムチとオオクニヌシが同じ神格というのはとくに違和感なく受け入れることができますが、奈良の大神神社でおなじみのオオモノヌシと同じ神、というのはちょっと違和感があるように思えます。

このエピソードではじつはこの2人の女神によって蘇ったオオアナムチはその後再び八十神によって殺害され、再度復活します。

この2度に渡る死ももともとは別の神格だった神々をまとめた時に残ったつなぎ目だったのかもしれません。

しかも、2度目に復活した後に彼はさらなる八十神の迫害から彼を保護した神のアドバイスに従ってスサノオが支配する「根の堅洲国」へと赴くことになります。この「根の堅洲国」を死者の国とみなせばこれを3度目の死、そしてスサノオが課した試練を乗り越えて根の堅洲国から脱出した状況を3度目の復活として見ることもできそうです。そしてこの3度目の復活から彼は「オオクニヌシ」と名乗ることになり、地上世界である「葦原中国」の国造りと当地を行うことになります。

死と復活を繰り返しつつパワーアップして最終的に「完全体」にたどり着く。日本神話の他の神には見られないこの独特の展開こそ、この神がいかに重要な位置にあるのかを示しているように思えます。

で、1回目の死ではキサガイヒメが貝殻を削って粉を作り、ウムガイヒメが蛤の汁で溶いた母乳を用意し、それらをオオアナムチの死因となった火傷痕に塗ったところ蘇生させることに成功します。

なので青木繁の絵は向かって右側の乳房を露にしているのがウムガイヒメ、左側がキサガイヒメということになるのでしょう。

なぜこのような方法で大火傷を負って死んだオオアナムチを復活させることができたのか?というより蘇らせるシーンにおいてこのような貝を神格化した女神を登場させたのか?この点に関してはいくつかの説があります。

まず民間療法を反映させたものだ、という説。火傷には蛤の身の汁を塗る、あるいは乳房の痛みには貝殻の粉をベニバナ製の紅に混ぜて乳房に塗るといった方法が知られていたそうです。(ただしこの方法がどの時代まで遡れるかは不明。それどころかそんな民間療法は実際には確認されていない、なんて説もあり)

一方で母乳に命を授け、生命力を高める力がある、との概念からこのエピソードが生まれたとの説もあります。先程キサガイヒメが「貝殻を削って粉にした」と書きましたが、原文では「キサガイヒメ、きさげ集めて」となっており、「オオアナムチの遺体を石からこそぎ落として集めた」との意味にとる意見もあり。

熱した石によって焼け死んでしまったわけですから、皮膚が石にこびりついてしまった状況をなんとかする必要があった、というシチュエーションでしょうか(あんまり想像したくない😅)。そうなるとキサガイヒメはボロボロになってしまったオオアナムチの遺体を整え、ウムガイヒメが母乳の力で蘇生させた、という形になります。

昔の人たちはどちらのイメージでオオアナムチの蘇生のシーンを思い描いていたのでしょうか?

静岡県浜松市浜名湖の沿岸近くにはこの2人の女神を祀った「岐佐(きさ)神社」があります。神話上有名な存在で末社や摂社に祀られることはありますが、主祭神として祀った神社は非常に珍しいらしくこの神社のほかには出雲地方にあるくらいのようです。

がその岐佐神社

この神社では日本神話のエピソードにちなんで「蘇りの神」として健康・長寿のご利益があるとアピールしています。

は神社の説明板

もともと日本の信仰においては「再生」や「蘇り」「復活」といった概念はもっぱら修験道が担っていたので(次回の投稿の伏線😆)、日本の神さま(と神道)ではあまり馴染みがないように思えます。ですからこの点からも珍しい神社なのかもしれません。

そして貝殻を神格化した神さまということで漁業・水産の守り神でもある。

境内にはオオアナムチ(オオクニヌシ)のエピソードにちなんだ「赤猪石(あかいし)」なる石もあります。この石は何を象徴しているのでしょうか?オオクニヌシを殺害した真っ赤に焼いた石、ということなのでしょうか。説明板からはよくわからないのですが。

ともかく、なかなかいい雰囲気を持った神社です。人生をやり直したいと思っている方は自分をいったん「死んだことにした」うえでこの神社で蘇りを図ってみてはいかがでしょうか?オオクニヌシのようにパワーアップして蘇ることができるかもしれません。

かくゆうワタクシもそんな目的で参拝してきたのですが...オオクニヌシのように2回も3回も死にたくないかなって気も😫

縁結びの木などもあり。ちょっとブレちゃってますが。

先述したようにこの神社は浜名湖の沿岸近くにあるのですが、この浜名湖にも貝殻と関連した伝説があります。

上記の神社の説明板にもありましたが、浜名湖はもともと淡水湖だったものが湖口が開いてことで淡水と海水の両方を備えた(塩分の濃度が淡水と海水の中間レベル)「汽水湖」になりました。

なぜ汽水湖になったのか?説明板には「地震津波」と書かれていますが、ではどうして地震津波が起こったのか?そこには驚くべき真実が隠されていたのだ!

伝説によると、浜名湖近くの海に生息していた法螺貝が龍と化し、一気に空へと舞い上がった衝撃で地震が起こり、津波を起こすとともに湖口を広げたらしい。

このような長く生きた法螺貝が龍と化す展開は「出世螺」と呼ばれて由緒正しい(?)歴史を持っており、Wikiページもあったりします。

ja.wikipedia.org

山に3000年、里に3000年、海に3000年住んだ法螺貝は龍とを化す!つまり、室町時代浜名湖汽水湖化は9000年に一度のビッグイベントだったのだ!(これが当記事のタイトルの由来です)

いや~あることないことデッチ上げる人のことを「ホラ吹き」と呼ぶ理由が窺えるような壮大な話ですねぇ...なんて野暮なこと言っちゃいけませんか🙄

しかし赤貝と蛤は女神となり、法螺貝は龍と化す。浜名湖水産物はじつに変幻自在にして融通無碍、神秘的なものであると言わざるを得ません。

前にも投稿しましたが、ちょうど海とつながっている部分の近くに建つ鳥居の夕暮れの光景もじつにグレイトです。