鳴かぬなら 他をあたろう ほととぎす

妖怪・伝説好き。現実と幻想の間をさまよう魂の遍歴の日々をつづります

君はカノープスを見たか?南天の星を巡る伝説と夭折の日本画家

前回の投稿では夭折の日本画家、青木繁1882-1911)作「日本武尊」と南房総の史跡を取り上げました。

そして青木繁南房総と言えばやはりこの作品を挙げなければ片手落ちになってしまうでしょう...というわけで↓は彼の代表作にして未完の作品「海の幸」。

この作品は彼が20代前半の頃に千葉県館山市布良(めら)に滞在していたときに描かれました。現在でもこの地に滞在した家が記念館として残されています。↓は現地にあった説明板。土日のみ開館、平日に訪れたので見ることはできませんでした。

そして青木繁が滞在した地のすぐに近くには「布良崎神社」という神社があります。↓の画像です。

なかなかに味のある目つきをしている狛犬くん

そしてこの布良崎神社青木繁が滞在した地域には「布良星」と呼ばれる星に関する伝説が残されています。さらにこの星に関しては広く南房総、さらには茨城県にも伝説が伝えられています。

この「海の幸」にも題材になっている通り(そして記念館の説明板にもあるように)この地域は漁業が盛んで、かつては引き網や延縄(はえなわ)による漁がよく行われていたそうですが、しばしば海が荒れて海難事故がよく起こっていたそうです。そして現地の人たちは事故で不慮の死を遂げた漁師たちの魂は天へと昇って星になると見なしていました。そして死んで星となった漁師たちの魂の象徴として扱われたのが南の空に見える「布良星」でした。

この地域の漁師たちはこの布良星を見ると必ず暴風雨になると信じていたそうです。

さらに、南房総の別の地域では同じ星を巡る「西春星」の伝説も伝えられています。

こちらは西春坊というお坊さんが主人公、彼の故郷である房総半島の南端、白浜の地でも漁師たちの海難事故が相次いでおり、そのことに心を痛めた彼は自分が身代わりになって入定することを決意しました。入定とは即身仏(ミイラの仏さま)でよく知られる人々の救済のために地中に入って瞑想に入る(つまり死ぬ)行為のことです。

そして彼は入定する際に周囲の人たちにこう言い残しました。

わたしが死んだら星になって夜空に現れるだろう。南の地平線近くに星が見えたらそれは海が荒れる前触れだから決して船をだすな

果たして、入定した後に彼の言った通り南の空に明るい星が現れました。人々はそれを「西春星」または「入定星」と呼んで漁に出る際の目安にすることにしたのでした。

もうひとつ、茨城県の南部には「上総の和尚星」という同じ星を巡る伝説もあります。

むかしむかし、茨城県南部に上総の国にあるお寺の住職が訪れていました。しかしこの僧は現地の人たちとトラブルを起こして殺されてしまいました。

この住職は殺される前にこう言い放ちました。

わしが死んだら、雨が降る前の晩に南の空に姿を現すぞ

そして実際に雨が降る前の晩には南の空に星がいかにもうらめしそうな様子でぼんやりと現れるようになったのです。そこで人々はこの星を「上総の和尚星」と呼ぶことにしたのでした。

これら3つの伝説・言い伝えには2つの共通点が見られます。

1つ目は星と死者とが結びつけられていること。

2つ目は星と天候(&海の状態)の変化とが結びつけられていること。

となると「この布良星・入定星・和尚星とは何か?」と興味が湧いてくるというものですが、昔からこの星に興味を持った人も多かったらしく、研究によってりゅうこつ座カノープスであることが明らかになっています。

カノープスとはどんな星か?↓はWikiのページ。

ja.wikipedia.org

有名な星なので星座や天文学が好きな方ならご存知かもしれませんが、夜空に見える恒星の中でもシリウスに次いで明るい星(マイナス0.74等星)、しかし日本からは見づらくて地平線のギリギリくらいのところでしか見えない星...というちょっと微妙な立ち位置にある星です。

高層建築が立ち並ぶ現代社会ではかなり難易度が高いと言わざるを得ないでしょうねぇ。

面白いのはカノープスが位置するりゅうこつ座はもともとはギリシア神話に登場する巨大な船「アルゴ号」を形どった「アルゴ座」だったことです(あまりの巨大なので4つの船のパーツに分割されちゃった)。しかもカノープスの名前はそんなアルゴ号に乗っていた案内人からつけられたというのですから、日本と同じく航海と深く結びついていることになります。

また、Wikiにはこんな面白いページもありまして、ほかにもこのカノープスの日本名が挙げられています。

ja.wikipedia.org

「六部の星(ロクブノホシ)」なんかは六部殺しと関係があるのでしょうか?だとすると同じく僧侶を殺害した「和尚星」の伝説とちょっと関わりがあるのかもしれません。

ちなみに中国では「老人星」と呼ばれており、日本では七福神に数えられる寿老人の化身と見なされています。

は神社の境内から撮影したものです。富士山が見えるなかなかにナイスなアングルですが、残念ながらこれは西向きなので南の空に昇るカノープスが見える方向ではありません。

一方、↓の画像は「西春星/入定星」の舞台となった安房白浜エリア、房総半島の最南端からの眺め。昔の人たちはこうしたロケーションからカノープスを観察し、翌日の天気や漁の判断をしていたのでしょう。

ちなみに青木繁はこの布良に滞在中にもうひとつ、有名な作品のアイデアを得たと言われています。その作品が↓の「わだつみのいろこの宮

個人的にはこれが彼の最高傑作ではないかと思います。

日本神話のよく知られたエピソード、山幸彦が海の底にある宮殿(綿津見の神の宮殿)に赴いて後に妻となる豊玉姫と会うシーンを描いたものです(この二人の孫が初代天皇神武天皇、ということになる)。

どうも彼が布良で海水浴をしていたときに見た海中の光景から着想を得て日本神話と結びつけた絵を描いてみようということになったそうで。

布良での滞在はほんの数ヶ月だったそうですが、彼の短い人生において非常に実り多き期間だったのでしょう。

わたくしもしばらく滞在したい衝動に駆られました。今の時期ならカノープスも見られそうだし。実際にカノープスが見られるかどうか確認したかったのですが、なにぶんバスの本数が少なすぎて...おうちに帰れなくなるので断念となりました。

日本神話では星にまつわるエピソードが少なく(月読命も存在感ほとんどなし)、日本の信仰では星への意識が希薄...なんて言われ方もしますが、実際には昔の人たちはじつによく夜空を観察してさまざまな信仰や伝説を生み出していた様子がこのカノープスを巡る伝説からもうかがうことができそうですね。

最後に、↓は布良崎神社の説明板。

由緒には「四国の忌部氏を率いて~」と書かれていますが、四国とその周辺には安房とよく似た名前の国「阿波」と「淡路」があります。この由緒はこれらの地域の繋がりや古代における太平洋岸の海運ルートの存在を示しているのでしょうか? 「古語拾遺」には実際に阿波から移住した人たちによって開拓されたために安房と名付けられた、とされているのですが。

実際のところはどうだったのでしょうか?前回&前々回の投稿(

迎撃せよ! ヤマトタケルノミコトとの戦い 前編 - 鳴かぬなら 他をあたろう ほととぎす

)で触れたように房総半島の南部には大和朝廷の支配が及ぶ前からかなり進んだ技術を持った人々が支配権と交易権を確保していたことがうかがえるのですが。

ちなみにワタクシ、以前からこの布良の地を訪れたいと思っており、過去に訪れようとしたこともありました。しかし...この南房総には「安房◯◯」という名前のバス停がいくつもありとても紛らわしい。前回訪れた時にはバスに乗る時に「安房違い」でぜんぜん違う路線に乗ってしまい、「あれ、今どこ向かってるの?」となってたどり着けませんでした。

今回ようやく訪問が実現したわけですが、もしこれから訪れようと考えている方がいらっしゃいましたら、声を大にしていいたい。

安房違いにご用心!