“補陀落(ふだらく)の 南の岸に 堂立てて
今ぞ栄えむ 北の藤波”
-新古今和歌集 神祇歌(1854)
いつもわたくしの投稿をお読みになってくださっている方(ありがとうございます!)でしたら↑の歌を見て「あれ?前回のnoteをシェアした投稿で取り上げていたのと同じだぞ」と気づかれるかも知れません。
その前回の投稿でかっこつけて「noteでは2000文字以内で収めるのがいいらしい。その気になればわたしにだってできるよ!」みたいなことを書いたのですが、いかんせん2000文字ではやはり短すぎる。書きそびれたことが多々あるのでnoteの投稿を土台にしつつさらに別の記事を書いてみることにしました。
朝に「2000文字以内に収めて書いた!」と得意満面に宣言しておきつつ、夜には「やっぱ足りないので追加しま~す」と撤回。
こういうのをなんというんでしたっけ?…朝令暮改?😅
ともかく、前回のnoteの投稿が起承転結の「起承」ならこっちは「転結」って感じでしょうか。
↓とそのnoteの投稿です。短い内容なのでもしよかった目を通してみてください。読まなくてもとくに問題はない内容にしているつもりですが。
冒頭に挙げた歌は興福寺の南円堂について歌ったもので、意味は「補陀落山の海の南岸にこの御堂を建てた功徳によって藤原北家は今こそ繁栄の時を迎えるであろう」みたいな感じ。しかも詠んだのは春日大社の地主神である榎本明神という設定。神さまが詠んだ歌!
南円堂のすぐ南にある猿沢池を観音浄土の地、補陀落と見なしたうえで「そんないい場所に南円堂を建てた藤原北家は大繁栄間違いなし!」と神さまが太鼓判を押す形になっています。ちなみに南円堂の本尊は不空羂索観音坐像です。
…ここまでがnoteの投稿のあらすじ。ではどうして猿沢池を補陀落と見なしたのか? ここからが本投稿の本題です。
観音霊場たる補陀落に関しては「補陀落渡海」という信仰/伝統がとくに知られています。とくに熊野で行われていたものが有名ですね。↓はそのwikiページ
最初から戻って来ることを想定せずに補陀落の地があるとされる南の海に船出する。そして無事(?)死ぬことができれば観音浄土にたどり着くことができる…
現代人の感覚では無謀な自殺行為にしか見えない伝統ですが、かなり流行したらしい。よく妖かし系のコミックや小説の作品などで「うつぼ船」が出てきますが、これも補陀落渡海ゆかりのものですねぇ。平家滅亡の際には平清盛の孫、平維盛(1159-1184)もおそらく補陀落渡海を目指して熊野の地から海に出て自殺したと考えられています。
つまり、この観音霊場たる補陀落の地には濃厚な死の気配が漂っていることになります。
一方、猿沢池には↓の伝説が伝えられています。
見づらくて申し訳ない。伝説にちなんだ碑も立てられています。↓
簡単に言えば天皇の寵愛を失った采女が世をはかなんで猿沢池に身を投げて死んでしまった…という話。近くには彼女を祀った采女神社もあり、毎年中秋の名月には彼女にちなんだ「采女祭」も行われています。↓のようなお祭り。「日本百名月」を紹介するサイトです。
かなり有名なイベントなのでご存じの方も多いと思うのですが…以前わたくし見にいったことがあるのですが、有名で人が多すぎて…(苦笑)
その采女神社も普段は地元の人たちによるものでしょうか、風情もへったくれもない状況で…😫↓
さらにこの猿沢池を巡ってはもうひとつ、龍神にまつわる伝説も伝えられています。↓のような筋書き。
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この猿沢池にはもともと龍神が棲んでいましたが、采女の伝説の通り采女が入水自殺をしてことで死のケガレが生じてしまったために逃げ出して奈良公園の東側に広がる春日山へと引っ越します。
しかしこの地は現在でも「地獄谷」という名前が残っているうえに多数の石仏が見られるようにかつての葬送の地(ちなみにこれまで何度か中世の弥勒信仰について触れてきましたが、このあたりの石仏にも未来仏である弥勒如来が見られます。)でした。なので死の気配がプンプン。
こりゃたまらんわい、と再び逃げ出した龍神は最終的に室生の地にたどり着き、その地にある洞穴を住居と定めたのでした。
めでたしめでたし
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↓はその龍神が落ち着いた地、「日本三大龍穴」とも言われる「吉祥龍穴」とそこからちょっと歩いたところにある室生龍穴神社。本投稿の表紙画像も室生龍穴神社にしました。↓が吉祥龍穴。
↑の洞穴に伝説の龍が棲んでいるらしい。
で、↓が室生龍穴神社。
史跡&観光スポットとしてかなり有名なところですね。
では、これらの伝説をちょっとまとめてみましょう。
1.まず猿沢池は采女の入水自殺によって「死のケガレ」が生じてしまった
2.それから補陀落はもともと入水自殺によって浄土行きを目指す者たちの聖地だった
となると、この2つを結びつければ「猿沢池=補陀落」のイメージができあがります。もともと「死のケガレ」が生じた「汚れた場所」と見なされた空間だった猿沢池が補陀落渡海のコンセプトと結びつくことで価値観が大逆転、仏の浄土がある場所、という位置づけになる。
こうした変化が時代の流れとともに起こったのではないでしょうか?それが冒頭の歌となって現れたのだ、と。
そして龍神伝説においては最終的に龍神がたどり着く地が「女人高野」で知られる女人救済の世界であった室生寺がある場所だった、というのは非常に大きな意味を持っていると思います。
しかも「女性が死んだ場所に棲んでいた龍神が死の気配に満ちた場所(地獄谷)を経由したうえで女人救済の地にたどり着く」という経緯を辿っています。
ですからこの伝説の本質には采女を龍神になぞらえたうえで「死んで地獄に堕ちた女性が最終的に救済を得て、神(もしくは仏)になることができた」という部分にあるのだと思います。
室生龍穴神社には女性的な面が色濃い善女龍王が祀られている点もこの推測を裏付けてくれます。↓はその「善女龍王社」
ちなみに、室生の地が龍神&女人救済の伝説と結びついた背景には「龍穴=流血」の連想もあるんじゃないか?という気もします。古代~中世にこれらの言葉がどれだけ使われていたかよくわからないので完全な推測ですが、月経や出産などによる「血のケガレ」を負っていると見なされていた女性の不浄観・罪業感がこの言葉の連想によって龍と結びつき、救済の物語が作り上げられていく…
なんて展開を想像してみるのも楽しいです。
さらに猿沢池を逃げ出した龍神が移動したとされる現在の地獄谷周辺には弥勒如来の石像もある。これまで過去の投稿において何度か「中世には弥勒と如意輪観音(立山曼荼羅や熊野観心十界曼荼羅などで地獄に落ちた女性を救う役割を担った仏さま)が同一視されていた」ことについて触れてきました。
ですからこれを踏まえて考えれば「猿沢池で死んだ采女が地獄(地獄谷)に落ちた後に如意輪観音=弥勒によって救われ、最終的に女人救済の地、室生にたどり着く」という筋書きを想像することも可能かもしれません。
この「猿沢池→春日山→室生」という移動ルートはなかなかに想像(妄想)をかきたててくれる魅力にあふれているようです。
先に挙げた采女神社の説明板にあった采女伝説を元にした能楽「采女」では僧侶の読経によって成仏した、という筋書きになっていますが、そこに書かれている「我妹子が 寝くたれ…」の歌は実際には柿本人麻呂の歌ではない、とされています。そして後述するようにこの物語が猿沢池の采女伝説の古い形であった可能性があります。
さて、そうなると今回取り上げた伝説がどのような経緯・順番で作り上げられていったのかもちょっと気になってきます。
まず冒頭に上げた「猿沢池=補陀落」に例えた歌は「新古今和歌集」に収録。じつはこの歌は他の場所でも取り上げられたりもしているのですが、少なくとも鎌倉初期には登場していたことになります。
一方これまでわたくしの投稿で挙げてきたように信仰の世界で女人救済(と女性の不浄視)が進行・普及していくのはおもに室町時代になってから。となると猿沢池の龍神伝説はこの歌よりも後に形成された可能性が高い。
その証拠にもなりそうなのが春日の神が登場する能楽作品、その名も「春日龍神」。以下のような作品です↓
簡単に言えば明恵上人(京都の高山寺で有名ですね)が修行のために中国・インドへ赴こうとしたところに春日の神が現れて思いとどまるように説得する…という筋書き。そして渡航を取りやめることにした明恵に対して龍神が登場、明恵を祝福した後に猿沢池に飛び込んで消えていく。
この作品の作者は定かではなく、世阿弥とも金春禅竹とも言われています。間違いないのは室町時代以降の作品だということです。
となると伝説が形成される順番として以下のような流れが考えられます。
1.まず采女が入水自殺をする伝説が生まれる(采女神社の説明板にある能楽作品と歌の元になった大和物語は平安時代、10世紀半ばの作品と見られています。)
3.春日の神に龍神としての面が備わり、猿沢池に棲んでいると考えられるようになる
4.その龍神が猿沢池から室生の龍穴へと引っ越しをする伝説が女人救済の概念を伴いつつ作られていく
2と3は上下するかもしれませんが、かなり妥当性があるように思えるのですがいかがでしょうか?
こうして見ても日本人の信仰や価値観は室町時代前後から大きく変化しつつ成熟・普及していく様子がうかがえるように思えます。
お読みいただきありがとうございました。最後に恒例の(笑)わたしがKindleにて出版している電子書籍の紹介をさせてください。やっぱりできるかぎりアピールする機会をもたないと誰の目にもとまらずに埋もれてしまいかねませんので。なにとぞご容赦のほどを。
普段の投稿と同路線、「神・仏・妖かしの世界」を舞台にした創作小説(おもに怪奇・幻想・伝奇・ファンタジー系)です。もしご購読いただければ光栄至極にて御座候🙏