↑の画像は滋賀県高島市にある「乙女ヶ池」で撮影したものです。
池の中央を縦断する形で橋(太鼓橋)がかけられていまして、なかなかに風情ある雰囲気を楽しむことができます。
そして今回の記事のタイトルはセーラームーンのEDテーマ曲(1993)から。これ歌詞がいいんですよねぇ。「いつだって女の子はなりたい自分になれる!」って内容。
これは男の子向けのヒーロー物の主題歌によく歌われるテーマ(自分の道を貫け!そのためならいかなる困難にも立ち向かえ!的な)を女の子の価値観や世界観にしたって感じなんですけど(なのでこのタイトルは「男の美学」と似たような意味を持っている…ハズ)、なので女性が聴くと心が励まされるのかも知れませんが、男が聴くと胸が熱くなる。「そうだ、どんなときでも自分を見失うな!」みたいに😊
当時「女の子向けの作品にこんなテーマの歌が出てくるようになったか」と感銘を受けたものでした。かわいい女の子が出てくる作品でかわいいだけじゃない女の子の魅力を提案してることも新鮮でした。
そしてこの当時はまだダンスミュージックが席巻する前だったのでかっこいいギターソロがあるアニソンや特撮ソングがけっこうありました。これもそのひとつ。
この曲から約30年。この歌詞の内容がいまだに実現していないくらい日本ではまだ男女平等が進んでおらずセクハラパワハラおっさん天国が続いている...なんて厳しく指摘するコラムを前に見かけたことがありましたが。
かつて感銘を受けた曲が失われた30年を象徴する歌になっちゃっている…ちょっと切ない。
さて、全国には「乙女(おとめ)」という地名がけっこうあるようです。そしてこれらの名前の多くは「偉い人が滞在した」もしくは「偉い人が滞在しているので庶民は立ち入るのを押し留められた」という意味、つまり「お留(おとめ)」を由来としているそうです。
東京には新宿区に「おとめ山公園」(江戸時代に将軍の狩猟場だった)とか、文京区には「乙女稲荷神社」という素敵な名前の神社(六代将軍家宣生誕の地)などがあります。神奈川・静岡の県境には「乙女峠(かつて関所があって通行を押し留められた)」なんてところも。
みなさんの地元に「乙女」がつく地名がありますか? あるとしたらどんな由来を持っていますか?
そしてこの「乙女ヶ池」はあの藤原仲麻呂(恵美押勝)が反乱を起こした(恵美押勝の乱)末に敗れてこの地で処刑された地、とされています。
かつて国を牛耳る権力を手に入れた者が処刑された地に「乙女」なる地名が存在する。となるとちょっと気になってくるというものです。
この乙女とはどんな人が「お留まり」になったのか、あるいはどんな理由で庶民が足を踏み入れるのを「押し留められた」のか?
この地に縁がある偉い人となればやはり藤原仲麻呂ということになるのでしょう。しかし彼は戦に負けてこの地まで逃れた末に処刑されているので「お留まり」にはなっていない。
少なくとも生きている間は。
つまり、斬首された仲麻呂の亡霊がこの地に出没(つまり滞在)し、多くの人たちを悩ませたあげくにみな怖がって立ち寄らなくなった(立ち入りを押し留められた)のではないか?
という推測も成り立ちます…少なくともわたくしの脳内では。
というわけで訪れてみました。というか前回の投稿で取り上げた「鵜川四十八体仏」へ最寄り駅から向かうルート上にあるのですが。前回の投稿もご一読いただければ幸いです。
そして現地に到着するや早速調査に乗り出そうとした…
…が、しかし!
案内板に衝撃的な説明が↓
「え?乙女ヶ池の名前って昭和になってから?」
勢い込んだ調査、いきなり終了😭
そもそも恵美押勝の乱の頃には琵琶湖に面していたのが後述する戦国期の築城のために内海(内湖)になって、さらに真珠の養殖などの目的で池になったわけでして…
とはいえ、この地が教科書にも出てくる歴史的な舞台であることは変わりないわけで、行ってみた価値(そしてこうしてブログに投稿する価値)はあった、といいたい。というか思いたい。
説明板にもあるようにこの辺りは壬申の乱の舞台にもなったそうで、大友皇子側の拠点となったという城があった場所とは池上の橋から見える↓の山でしょうか。
ただ、どうして昭和になって「乙女」が含まれる名前が付けられたのか? 真珠の養殖池として売り出すうえで「イメージの良い名前を」というちょっとトホホな理由で付けられたそうですが、ほんとうにそんな薄っぺらい理由だけでつけられたのか?
もしかしたら表面的には「イメージのよい名前」だけれども、その実は恐ろしい真実が含まれている、みたいな「本当は恐ろしい地名の由来」的な秘密が隠されているのではないか?
そう、わざわざ「乙女」という言葉を使う以上、それなりのポリシーがあったはずだ!(これが当記事のタイトルの直接の由来/笑)
「乙女=偉い人」の連想が関わっている可能性がある。とちょっと往生際悪く迫ってみたい。
説明板では戦国期のこの地に砦や城が築かれたとあります。最寄り駅の近江高島駅にはちょっとだけその説明もありました↓
ですからまずこの地は藤原仲麻呂ではなく武士の領主が「お留まりになっていた」歴史があったので「じゃあ乙女にしようか」と名付けられた可能性が考えられます。
さらに「乙女=偉い人の怨霊説」もまだ捨てたものじゃないと思います。もともと「勝野の鬼江」などと呼ばれていたわけですから、ちょっと怖いイメージが古代から持たれていた可能性があります。湖の水辺ですから、湖上に鬼火が浮かぶような異界めいた印象があったのでしょうか。前回の投稿で取り上げたようにこの辺りはもともと西方浄土、あの世と見なされていた面もありますし。
しかも、戦国期は城郭、さらに江戸時代になると城は解体されるものの、そのまま陣屋として活用され、領国支配の拠点になっていたそうです。となると長い間一般庶民が気軽に立ち寄れる場所ではなかった。
そこに恵美押勝や壬申の乱の血塗られた歴史のイメージが加わることでこの池が「乙女」の名を冠するにふさわしいと地元の人たちから見なされるに至っていたのではないか? そして「イメージの良い名前を」というコンセプトで新たに名付けられることになったとき、表面的には美しいイメージ(真珠採りの海女さんのイメージもあるのでしょう)、しかしその裏ではこの地の伝統的なイメージや歴史にふさわしい意味も込めて「乙女がぴったりなんじゃないの?」とばかりに「乙女ヶ池」と名付けられたのではないか?
と大いに妄想を繰り広げたい。
できれば再び訪れて追跡調査の一つもしたいところですが、いつになることやら。
最後に、↓はそんな乙女ヶ池で見かけた木。
これを見て何かを感じませんか?わたしはすぐに感じました。
「あれ、これゴジラに似てない?」
いかがでしょうか?
一度そう思ってしまうともうゴジラにしか見えません。
「やっぱりこの地はちょっと怪しいところだな。何かあるに違いない」と確信に至ったのでした。
そしてこの木はどう見てもゴジラである、しかしもしかしたら違う「未知なるもの」かもしれない。
そんな意味を込めてわたくしはこの木を「Godzilla X-one(ゴジラ エックスワン)」と名付けることにしました。
え?某アカデミー受賞作に乗っかっただけだろって?
ほっとけ!🤣
最寄り駅の近江高島駅前には怪しすぎるガリバー像もありました。
ついでに、↓は前述した東京都文京区にある「乙女稲荷神社」です。根津神社の境内社ですが、なかなかに素敵な雰囲気を持ったところです。
最後の最後、恒例のわたくしの電子書籍の宣伝を。やっぱりできるかぎりアピールする機会をもたないと埋もれてしまいますので😅何卒ご容赦を。
もしご購読いただければ、光栄至極にて御座候🙏