あけましておめでとうございます。
年の瀬も迫ったころになって急に年賀イラストを描きたくなって作業を開始、予期せぬ年末進行(?)突入して年の瀬の雰囲気を味わう余裕もなくあっという間に年が明けてしまいました。
で、なんとか描きあげたのが↓の絵。
…この絵のためにわたくしの年末が消えたのでした(笑)
「かわいい笑顔と必殺技で世の悪を爆殺!」
これぞ魔法少女と特撮ヒーローの華麗なる融合…
...これは新年の初日の出に宿るめでた~い太陽光エネルギーを封じ込めた羽子板の玉が敵の体内にめりこむとそのエネルギーを放射、エネルギーが火花となって体外にあふれ出るほど大量に注ぎ込まれつつ内部から破壊、爆殺するという新年にふさわしいめでた~い必殺技である。
「こいつなに言ってんだ?」と思った方にはは論より証拠、↓の仮面ライダーBLACK RXの必殺技、リボルクラッシュをご覧いただきたい。
あ、それから右の「リンク」の部分にワタクシのPixiv(画像投稿サイト)のページを貼り付けましたのでもしよかったらご覧ください。
英語版も作ってみた!↓
大混乱な世の中ですが、なんとかよい環境・よい世界をわれわれの手で築き上げていこうではありませんか!
というわけで、初詣には東京都北区の王子稲荷神社へ行ってきました。本神社では毎年正月三が日に江戸時代に描かれたなかなか素敵な絵馬が公開されているというのでそれを鑑賞するのも大きな目的でした…が!
なんと公開していませんでした。北区の観光ホームページにも公開されているって書いてあったのに! 新年早々ズッコケでした。
どんな絵馬かと言いますとですねぇ、現地に説明板があります。↓
酒呑童子伝説に登場する源頼光四天王の一角、渡辺綱が茨木童子と対決する伝説のワンシーンを描いた巨大な絵馬です。
渡辺綱が茨木童子と対決、北野天満宮所蔵で知られる伝家の宝刀「鬼切丸(別名髭切)」で鬼の腕を切り落とすことに成功したものの、茨木童子は渡辺綱の伯母に化けて彼に接近、彼が騙された隙をついて腕を奪い返す…
その鬼女に化けた茨木童子が腕を取り返したシーンを描いたものです。
この説明板によれば江戸時代に砂糖商人の同業組合(現存するらしい!)が商権の拡大を願って奉納した、とありますが、具体的には当時彼らが失っていたビジネス上の既得権益を取り戻すのを願って奉納したらしい。自分たちを鬼(鬼女)に見立てて腕ならぬ利権を取り戻せるよう神に祈る…
なかなかに大胆な試みではありませんか!
説明板には「毎年2月の初午・二ノ午のみ公開」と書かれています。約1ヶ月後か…それまでに完全に消失したやる気が復活するかどうか(苦笑)
絵馬の代わりに北野天満宮所蔵の「鬼切丸」を載せます。公開時には撮影OKという親切設定。
↓は王子稲荷神社。
↑個人的に大のお気に入りなキツネ像
みんないい面構えしてます!
この神社は幼稚園を経営しているらしく、正門は幼稚園の敷地内にあります。なので平日は正門から入れず拝殿向かって左手にある別の入口から入ることになります。今の御時世、正門から写真を撮影しようと試みるだけでも不審者扱いされかねません。
わたくし、今回はじめて正門から入った気がします。
なお、おそらく王子稲荷神社の絵馬の題材に関しては砂糖商人たちの思惑だけでなく、渡辺綱の出自とも関係していると思います。彼は関西のイメージが強いですが出身は関東の武蔵の国。かつては北足立郡箕田村(みだむら)と呼ばれていた地で出生したと考えられています。現在の埼玉県北部に位置する鴻巣市。
江戸時代にはおそらくこの渡辺綱の出自が江戸の人たちの間でけっこう知られており、「武蔵のヒーロー」みたいな位置づけにあったのかもしれません。そんな渡辺綱の評判を土台にしたうえで砂糖組合の人たちは彼の伝説にまつわる構図の絵馬を奉納した、と。
この渡辺綱をはじめとした源頼光&四天王の出自については以前に投稿したことがあります。↓の投稿。ご一読いただければ幸いです。
この投稿と重複しますが、源頼光の一族「多田源氏」はかつての摂津国の多田の地、現在の兵庫県川西市を拠点としており、京の都から見た西における「異界との境界」を守護する役割を担っていたと考えられます。
また四天王のうち金太郎伝説でもおなじみの坂田公時は足柄峠、碓井貞光は碓氷峠と、それぞれ東国との境界線と見なされていた場所と縁があります。そして渡辺綱は武蔵の国、平将門に代表される朝廷に弓を引いた「異形のモノたち(朝廷の人たちから見て)」が住む地域。
そのため酒呑童子伝説とは「夷をもって夷を征する」的な考えを土台にして成立していると考えることができそうです。そもそも源頼光に代表される朝廷に出仕していた武士たちそのものが朝廷の貴族たちにとっては「異形の連中」だったのでしょうし、それが後の「征夷大将軍」という称号へとつながっていくのでしょう。
となると気になるのが四天王の残りひとり、卜部季武の存在です。四天王のうち彼だけ東国と縁がないというのもちょっと「?」な感じ。
この卜部氏は名前からして占いに従事してきた一族で平安時代前期から活動が見られます。中世になると吉田神道の創始者、吉田兼倶(1435-1511)や「徒然草」の著者としておなじみの吉田(卜部)兼好などを輩出しますが、この一族には大きく3つの系統、伊豆卜部氏、壱岐卜部氏、対馬卜部氏の系統が見られます。
伊豆、壱岐、対馬のいずれも朝廷から見た異界との境界線(もしくは異界そのもの)を思わせる立地にありますが、おそらく卜部季武は伊豆のイメージから四天王に名前を連ねることになったのではないでしょうか(彼自身は実際に伊豆と縁がなかったようですが。そもそも坂田公時などは実在したかどうかも定かではないわけで。あくまで伝説における縁の話)。
さらに推測を重ねると現千葉県の安房国は卜部氏とともに朝廷の占いを司ってきた忌部氏と縁が深いエリア。現地の寺社には阿波国(おなじ「あわ」)の忌部氏が紀伊半島から伊豆半島を経て房総半島に上陸した、という創建縁起も見られます。
そして房総半島といえば日本神話でヤマトタケルノミコトが三浦半島から海を渡って上陸しようとしたものの大苦戦を強いられた地。そして平安末期には石橋山の戦いで惨敗を喫した源頼朝が逃れて再起を期した地。つまり中央権力の手が行き届きにくい「異界」の地。
ちなみにヤマトタケルと房総半島についても以前取り上げたことがあります。↓の投稿。ご一読いただければ幸いです。
なのでもしかしたら酒呑童子伝説を作り上げた人たち/語り継いだ人たちのなかで「卜部」と「忌部」が混同したか、「本当は忌部氏の人物がいいんだけど、適当なのがいないから卜部にしとこうか」とばかりに卜部季武が選ばれた…みたいな経緯があったのかもしれません。
これは完全な推測(妄想?)に過ぎませんが、少なくとも卜部季武もまた「夷をもって夷を制す」のコンセプトに乗っ取って選ばれた人物である可能性はとても高いと思います。
せっかくなので茨木童子に関連したヘヴィメタルの作品も紹介しておきましょう。アメリカのバンド、TRIVIUM(トリヴィアム)のリーダーにして日米ハーフ(山口県岩国市生まれ)のマシュー・キイチ・ヒーフィーによるブラックメタルプロジェクト、その名も「IBARAKI」。下のCD↓ タイトルは「Rashomon(羅生門)」。
これは全面的に日本を題材とした作品となっておりまして、「Ibaraki-Dōji(茨木童子)」とか「Susanoo no Mikito(須佐之男命)」とか、「Kagutsuchi(迦具土)」とか、歴史・伝説好きの日本人なら「オッ?」と反応すること間違いなしの曲がズラ~り。
茨木童子と渡辺綱との遭遇&対決の場所は一応オリジナルとされる一条戻橋バージョンと、後に能楽などで採用された羅生門バージョンがありますが、このアルバムでは後者が採用されていることになりますね。
↓はアルバム収録曲、室町時代に実在したとも言われる伝説的な遊女、地獄太夫を歌った「Jigoku-Dayū(地獄太夫)」。ブラックメタルは苦手、という人でも聴ける!...かもしれない。そもそもヘヴィメタルに興味がない方にとっては「ブラックメタルってなに?」でしょうが(笑)
さて、ここで話を東京に戻して王子稲荷神社がある王子エリアについて。この神社の近くには「装束稲荷神社」という神社もあります。↓
小さな神社なのですが、ここはヒジョーに有名な浮世絵の舞台となっております。歌川広重の「名所江戸百景」のひとつ、「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」です。
おそらく多くの方がなにかしらの形でこの作品を見たことがあると思いますが、先月東京国立博物館を訪れたら展示されていましたのでそれをご紹介↓
残念ながら現在の王子エリアにこの絵に描かれているような神秘的な雰囲気はほとんど残っていませんが…かろうじて桜の名所で知られる飛鳥山公園にちょっとだけ残っているくらいでしょうか。
この浮世絵に描かれているタイトルにもなっている榎(えのき)もすでに切り倒されて石碑が建てられているのみ。↓
近代化の功罪ってところでしょうか。
でのこの狐火ですが、各地で伝説が伝わっているもののルーツはよくわかっていないようです。どうして狐の体やその近くで火が灯されているのか?そもそも熱くないのか?(笑)
この狐火のルーツに関してはちょっと面白い資料(?)があります。これも有名な鳥獣戯画(12~13世紀作?)のワンシーン。↓です。
キツネの尻尾に火がついている!
どうもこれが狐火を連想させるビジュアルイメージのなかでももっとも古いもののひとつらしい。
もともとキツネは火事と関わりがある霊獣と考えられていたフシがあり、火事を予兆するために人間の前に姿を現す、といった説話も見られます。そして13世紀に編纂された説話集「宇治拾遺物語」にはそんなキツネと火の関係をうかがわせる話も収録されています。↓のような内容。巻3-20 タイトルは「狐、家に火付くる事」
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今は昔のお話、甲斐の国のとある侍が夕暮れどきに馬に乗って帰宅途中にキツネと遭遇しました。不届き者なこの侍はそのキツネを追いかけて馬上から引き目の矢(鏑矢の一種)で射かけるとそれがキツネの腰に命中し、キツネは痛みに苦しみもがきながら草むらへと姿を消しました。
侍は地面に落ちていた矢を拾い上げて家路を急ぎますが、その前方に再びキツネが姿をあらわしました。もう1回射てやれと思った侍ですが、その前にキツネはこつ然と姿を消してしまいました。
家路を進んであともう少しというところで再びキツネが男の200メートル(2町)ほど前方で姿を現したかと思うと火を口に咥えた姿で走りはじめました。侍は「火を咥えて走るなんてどういうことなんだ?」と不審に思いつつ馬を走らせて追いかけましたが、キツネは先に侍の家にたどり着くなり人間の姿に変身、その姿で家に火をつけはじめました。
慌てた男は「人が家に火をつけたのか!」と矢をつがえつつ馬を急がせましたが、その人物は火をつけきってしまうや再びキツネの姿に戻り、そのまま草むらの中へと姿を消したのでした。
そんなわけで家は全焼。
このようにキツネのような動物であってもかならず仇返しをするものである。ゆえにこのように動物をいためつけてはいけないのだ。
めでたしめでたし(?)
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弱いものいじめをする人間への動物の復讐譚ですが、なかなかおもしろい内容になっていますね。キツネが火をつけるだけでなく、わざわざ人間に化けて火を付ける。
上記の歌川広重の浮世絵に伝わる伝説では毎年大晦日に狐火を伴ったキツネたちが現在の装束稲荷神社がある地で衣装を整えて(人間に化けて?)王子稲荷神社へと出向いていたという筋書きになっています。ここからは上記の説話にある「火を持ったキツネが人間に化ける」という構図を連想させます。
しかも不届き者の侍が放った矢は「引き目(蟇目)の矢」というのもなかなかに面白い。鏑矢は現在でも神社での魔除けの神事で使われますが、この引き目の矢もそうした意味合いを持っていた可能性もある(犬追物などに使う狩猟用の引き目の矢かもしれませんが)。もしそうならこの侍は単に不届きな男だったのではなく、キツネが怪しい霊獣だと見たうえで追い払おうとしたのかもしれません。しかし神獣でもあるキツネに矢を引くなどとんでもない不届きな行為(つまり道徳的にではなく信仰面において)のため、かえってバチがあたって家を焼かれる羽目になった…のかも。
シンプルな内容の話ですが、意外に奥が深い面を持ち合わせているのかも知れませんね。
ここでなぜ宇治拾遺物語の説話を取り上げたのかといいますと、この説話集の著者&編者と目される源隆国(この説話集の元ネタであった宇治大納言物語の著者。1004-1077)と、かつて鳥獣戯画の作者の有力候補とも目されていた鳥羽僧正こと覚猷(1053-1140)は親子の関係にあるからです。
となると、鳥獣戯画に見られるキツネ&炎の構図と、宇治拾遺物語に収録されたキツネが家に火をつける話との間には関係がある可能性も出てきます。少なくとも、鳥羽僧正は宇治拾遺物語の説話を知っていた可能性が十分に考えられます。この話を参考に彼は尻尾に火をつけたキツネを描いたのか?
というか、逆に後世の人達はこの両者のつながりから連想して彼を鳥獣戯画の作者と見立てたのではないか?
この宇治拾遺物語は上記の源隆国著&編による宇治大納言物語のアウトテイク集みたいな作品だろうと考えられています(なのでタイトルも「拾遺」)。もしかしたら、本編たる宇治大納言物語にはもっと狐火と鳥羽僧正とのつながりを連想させるような説話が収録されていた可能性だってあるかもしれない!
そんな両者のつながりをうかがわせるような説話も宇治拾遺物語に収録されています。そう、源隆国は息子(たち)のエピソードも記録に残していました。
しかも収録されている説話はものすっごくバカバカしい内容。一読の価値ありありなのでご紹介したい。巻3-5「鳥羽僧正、国俊と戯れの事」
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今は昔のこと、大僧正覚猷というえら~いお坊さんがいました。ある日、彼の兄にあたる陸奥国の前司の国俊が訪れ、「参上いたしました」と告げました。すると取次の者が「すぐにお会いしましょう。しばらくお待ち下さい」と伝言を寄越してきたので待つことにしました。
しかし待てども一向に覚猷は姿を見せません。四時間ほども待っていたところで国俊もそろそろ堪忍袋の緒がキレて帰宅することにしました。そこで連れてきた下男に「おい、帰るぞ、靴を持ってきて牛車を用意しろ」と命じるとこの下男は驚くような答を返してきました。
なんと国俊が乗ってきた牛車を覚猷が勝手に乗って外出していたのです。しかも下男には「彼には少し待っていてと伝えてくれ。2時間位で帰るから」と命じたうえで。
「バカ、なんでそのときに俺に言わないんだよ」と国俊が責めると下男は「お二人は親しい間柄だと思いましたので。それの僧正さまは「じゃあ頼んだぞ」とおっしゃるなり出かけてしまったのでどうしようもありませんでした」との返答。
「くそ、やられた!」と思った国俊は反撃に出ることにしました。
ところで、この覚猷にはちょっと奇妙な習慣がありました。いつも入浴の際には浴槽に細かく切った藁をふかふかになるくらいたっぷりと入れ、そのうえに筵をしいたうえで「えさい、かさい、とりふすま!」と叫びながら飛び込んで仰向けに横たわるというものです。
この習慣を知っていた国俊は一計を案じました。覚猷の浴槽を確認してみると実際に筵が敷いてあり、それをめくるとたっぷりの藁が敷き詰められていたので彼はまずその藁をすべて取り除いてお風呂場の垂れ布で包みました。そして藁の代わりに囲碁盤を裏返しにして置いたうえでそこに筵を被せてカモフラージュして一見何もおかしいところはないように取り繕ったのです。
それからさらに4時間ほど経過してようやく覚猷は戻ってきました。牛車から下りた覚猷と入れ違いになる形で国俊はそれに乗って帰宅すると牛飼童に例の藁を包んで入れた垂れ布を渡して「この牛に食わせてやれ」と命じたのでした。
一方帰宅した覚猷は疲れを癒やすべくお風呂場へ向かい、着物を脱ぐのももどかしい勢いで「えさい、かさい、とりふすま」と雄叫びを上げながら湯船に飛び込みました。しかしそこに待ち受けていたのはやわらかい藁ではなく裏返しになった囲碁盤。
軽やかにダイブし仰向けに浴槽に着地した彼は囲碁盤の角の部分に尾骨を強打。あまりの激痛に反り返って倒れたまま死んだようになってしまいました。家中の者たちがなかなかお風呂場から出てこないのを不審に思い様子をうかがってみると半死半生の彼を発見、声をかけてみても返事がないので顔に水をかけてみるとようやく息も絶え絶えの状態でもごもごとよくわからないことを口走ったのでした。
このいたずらは、ちょっとやりすぎではないだろうか。
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いかがでしょうか。すばらしくバカバカしい話で新春初笑いにもピッタリ?(最後の著者によるツッコミもじつにクール!)
鳥羽僧正がダイブする時の掛け声「えさい、かさい、とりふすま」が意味不明で諸説あります。「とりふすま」は鳥の羽毛で作られた現在で言う羽布団のようなものらしい。そして「えさい、かさい」は「一切合切」の意味という説があります。なので超訳を承知で訳してみると「なんでもかんでもふかふか布団!」とか「なにはなくともとふかふか布団!」みたいな感じになるのでしょうか。
ただこの説話に見られる覚猷の言動からしてかなり本能の赴くままに生きていた人物らしく思えるのでそもそも意味なんかなくて、単に口に出して言うと気持ちいいから言ってただけ、という可能性もありそうです。っていうかこっちのほうがありそう。
ヘヴィメタルファンの挨拶、「Up The Irons!」みたいな感じ? 言ってみてなんとなく様になっていればそれでOKみたいな。
あるいはアントニオ猪木のテーマ曲、「イノキボンバイエ(INOKI Bon-Ba-Ye)」みたいな感じでしょうか。この言葉と曲を知っていても意味まで知っている人はあまりいません。でも何の問題もない。イノキボンバイエという言葉はイノキボンバイエという意味なのだ!みたいな。
まあ行動そのものが意味不明なので言葉の意味が判明したところでなんの足しにもならない気もしますが(笑)
それにしても最後は強烈な展開ですねぇ。スタンディングのライブハウスでステージに乱入した客がステージダイブを敢行したけど誰も支えてくれなくて床に顔面を強打しちゃった、みたいな感じでしょうか(?)
なお、この鳥羽僧正の奇癖ですが、最初にこの彼の習慣を説明する部分の文章では「湯船にダイブして着地してから仰向けになる」の意味でとれるのですが、後半で実際に鳥羽僧正が実践する部分ではこの意味だけでなく「ダイブして仰向けに横たわる(着地する)」という意味にも読めるんです。最初から尻から飛び込んで着地する形。尾骨を強打して死んだような状態に陥った(笑)状況を考えると後者かな、と判断しました。
いずれにせよ、いい歳こいた地位の高い坊さんがやっているポーズを連想するだけでも楽しい。
そんなわけで、兄を相手にバカバカしいいたずらを仕掛ける偉~い大僧正、それに対してバカバカしくも凶悪な仕返しをする兄、そしてそのエピソードを記録に残す父親…
なんなんだ? この一族は?
そんなツッコミはおそらく昔からあって、それが宇治拾遺のキツネのエピソードと鳥獣戯画、そして鳥羽僧正とを結びつけ、「楽しいユニークな鳥獣戯画の作者=笑えるおっさん鳥羽僧正」が生み出された要因になったのではないか? そんな妄想を繰り広げたくなるのですかいかがでしょうか?
ちなみに鳥羽僧正の伯母にして源隆国の姉には日記&歌集の「成尋阿闍梨母集」の作者として知られる成尋阿闍梨母などもいたりします。男性陣はヘンな奴らばっかりだったのに対して女性陣は真面目で優秀な一族だったのかもしれません。
最後に、王子エリアの名前について。この王子とはどこかの王族のプリンスのことではなく、熊野信仰の若王子(若一王子)のことです。この地に若一王子が勧請された(現在の王子神社)ことで「王子」という地名になったと考えられています。
京都には哲学の道の近くに「熊野若王子神社」があります。むかしはこの神を祀った神社がもっとたくさんあったのでしょう。
状態が良くないのでちょっと見づらいですが、童子にも女の子にも見える↓が「若王子」。左端に漢字で名前が書かれているのが確認できますでしょうか?
東京には「隠れ熊野信仰」とも言うべき痕跡がいくつか見られます。いずれそれらも取り上げることができたらな、と思っております。
というわけで、2025年がみなさんにとって良い年になりますように!
今回は正月のお雑煮のようにごった煮な内容でお送りしましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。今年も最後に恒例の😄わたくしがKindleで出版している電子書籍の紹介をさせてください。やっぱりできる範囲内で全力でアピールしないと誰の目にもとまることなく埋もれてしまいかねないので。なにとぞご容赦のほどを。
ここのブログにおける普段の投稿と同路線、「神・仏・妖かしの世界」を舞台にした創作小説(おもに怪奇・幻想・伝奇・ファンタジー系)です。もしご購読いただければ光栄至極にして御座候。
今月中に新作を出したいと思っているのですが…どうかなぁ。