↑の画像は比叡山の山中にある弥勒石仏。無造作に置かれている印象ですが、かなり古いものらしく鎌倉初期ころの作とのこと。広大な境内を誇る比叡山延暦寺の西塔から横川へと行く途中にあります。途中に京都と滋賀の県境もあります。
なんでも数百年もの間忘れ去られていた状態が続いた後、1959年に茂みの中から「再発見」されたそうで、実に数奇な歴史を持った像です。ずっとそこにいたにもかかわらず気づかれないと存在していないと見なされてしまう。面白いものですね。
傷みも見られますが(後述)、堂々たるお姿。像高は2.5メートルほど。
ところで、室町時代には「弥勒(ほかにも身禄とか)」という私年号が一般人(庶民、常民、農民、人民、一般市民…歴史の文脈で”common people”にうまくフィットする用語が日本語にはない!)の間で何度か使用されていました。本来なら56億7000万年後(もしくは5億7600万年)に如来として到来し人々を救う弥勒菩薩が「もうすでに現れた」と見なして世直しや打ち続く戦乱や疫病などの災難からの救済を求めるために使用していたらしい…とのことですが。
不安定な状態が長く続いた室町時代ならではの話って感じですが、この弥勒石仏もそんな庶民信仰と関連したものなのかもしれません。
2ヶ月ほど前に比叡山と同じく滋賀県大津市にある「志賀の大仏(しがのおぼとけ)」を紹介しました。↓の投稿です。ご一読いただければ幸いです。
この志賀の大仏は見た目(尊容)は阿弥陀如来だけれども、弥勒菩薩として信仰されてきた…という歴史を持っています。
これはあくまでわたくしの推測ですが、この仏像は室町時代のどこかの時点、一般人(庶民)の間で弥勒信仰が流行した頃に「阿弥陀如来→弥勒菩薩」への変更が起こったのではないか?基本的な仏教史では浄土思想の高まりとともに古代には隆盛だった弥勒信仰が阿弥陀信仰に取って代わられていく…との図式が一般的ですが、庶民レベルでは中世に逆の流れも存在していたのではないか?
そんな想像を膨らませてくれます。
しかも、比叡山の弥勒石仏の尊容に関しては釈迦如来という説もあります。文献では弥勒菩薩として扱っているため(かつてあった弥勒堂に安置されていたらしい)現在では弥勒菩薩としています。
となると、こちらの像も「もともとは別の仏さまだったものが弥勒信仰の高まりに合わせて変更された」可能性が出てきます。
そんな想像をさらにそそのかしてくれるものがこの弥勒石仏にもあります。この像の背面。↓
中心やや上に大きな円、その左右に小さな円が見えますが、これは釈迦三尊をかたどったものだそうです(もうかなり見づらいですが)。その下部の四角い壁龕のような彫り込みの部分には経巻が収められていたのでは、とのこと。
正面が弥勒信仰、背面が釈迦信仰のリバーシブル仕様!現世での生活でさまざまな苦しみと直面し、神仏に救いを求めようとしていた昔の人達の切なる思いが伝わってくるようではありませんか。
となると、この背面がどのような経緯で、いつ作られた(彫られた)かについて、いくつかの推理が可能になると思います。
1.もともと弥勒菩薩として作られたときに一緒に作られたもの。つまり最初から弥勒信仰と釈迦信仰が共存した像だった。(「弥勒=次の釈迦如来」とのイメージなどに基づいて)
2.もともと弥勒菩薩として作られた後、中世に弥勒信仰が高まったときにこの像が注目を集めるようになり、この像のご利益をさらに高めるべく魔除けや家内安全に加えて悟りへと導くご利益を持つとされる釈迦三尊を新たに彫った。
3.当初は釈迦如来として作られたが、中世に弥勒信仰が高まっていく過程で弥勒菩薩に変更され、かつての釈迦如来の名残を伝えるべく背面が新たに彫られた。
4.最初は釈迦如来として作られ、背面もその時に一緒に彫られた。後に弥勒菩薩への信仰が庶民の間で高まっていくにつれて背面に魔除けや無病息災など現世の苦しみから守ってくれる釈迦三尊が彫られているこの像が注目を集めるようになり、弥勒と釈迦の二重のご利益を期待して釈迦如来から弥勒菩薩へと変更された。
さて、どれでしょうか? わたくしは4を推したい。
絶大な権力を握り積極的に世俗の権力闘争にも関与していた比叡山延暦寺の歴史を考えるとこの像がどれだけ一般の人々の信仰を反映したものかどうかはちょっと「?」もありますが。
なお、この像の破損や傷んでいる部分はそんな権力闘争の果てに織田信長から焼き討ちを食らったときのものとも考えられています。
現在の状況を見ると国内・国外ともに世が乱れた状況を痛感させられる出来事が次々と起こっています。
この「弥勒」という年号を使いたくなるのはわたくしだけではありますまい。世界中の人々が少しでも平和で過ごせるようになりますように!
↓は弥勒石仏の脇を固める像たち。
↓は弥勒石仏のすぐ近くにあった十一面観音像。
そして↓は同じく近くにあった国の重要文化財にも指定されている立派な「延暦寺相輪橖」。
解説板が見にくくて申し訳ない。雨が降っていたので写真がブレやすかったのです(言い訳😅)